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ナンクルナイサ〜☺️

しばらくお休みしていたブログを書きます。

父が7月20日に他界しました。

前回のブログでは、入院させるかを悩み中でしたが、
その後の記事を書かなくては、
次には、進めないので、8月最後に書きます。

あれから、家で最後を迎えさせようと
看取りを選択して、その間に体力が
落ちた父には、入院して体力を回復してもらおうと
悩みに悩んで覚悟を決めました!

家で看取ると言う事は、
医者やホームの段取りやスケジュールを
決める事があり10日ほど、
時間もかかるそうです。

入院する日の朝、お父さんが私に
『今日は、どこに行く予定や?』と
聞いたので、今日も病院だよ〜とだけ言いました。

前の日にも食べれなくて点滴をして
2時間くらい離れていて、迎えに行くと
『また1人になるのかと思った。良かった〜』と
家に帰るのをホッとする顔をみると
今日からしばらく入院するなんて
私から言えませんでした。

入院するその日のお昼に牛肉のスープが飲みたい!と
言うので、あわてて買い物に行き
心を込めて作りました。

スープは、お茶碗半分くらいを
スプーンで、飲ませて
『美味しい?』
『うん美味しい』
『じゃ〜もう少しだけ飲んで〜』と
ほぼ食事が、摂れなくなった父を
あやす様に食べさせて
褒めて笑って。。。
これが、私の手料理で、
家の最後の食事になりました🍽。

弱っていく父を入院させるのを迷っていて、
このまま家からの通院が良いのか?
入院が嫌なのにさせて良いのか?を
決めきれなくて、いつもお世話に
なっているグループホームの
荒井優子師長さんに相談をしてました。

入院する時に、荒井師長さんが
迎えに来てくれて、じいちゃんに
説明をしてくれて、一緒に病院に
付き添ってくれる事になりました。

私は、病院に着いても入院するよ…とは
直接には、言えずに、
手続きだけをテキパキとして
自分を誤魔化してたのか、逃げてたのか?
保育園に嫌がる子供をおいて帰る母の気持ちと
言うのか…。
父に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

車椅子に乗ってる父の痩せた肩をさすって
早く食べれるくらいに元気になってね〜と
目を合わせられずに
背中越しに話しをしてました。

家では、座ってるのも辛そうだったのに
入院準備のため、待ってる間に
車椅子の上で、足を組み出して凛としている
父親の姿が、私が最後に見た父でした。

車椅子に乗ってても、パジャマを着てても
最後まで凛として髪を直して、足を組んで
ダンディーでした☺️さすがです。

それからたった5日で逝ってしまいました。
最後は、脳出血でした。
前の日まで、妹とLINE電話で
早く迎えに来て欲しいと、話しをしていたのに…。

次の日のお昼に病院から電話がありました。
病院に向かう私達を待たずに
すっーと眠る様に逝ったそうです。
まだ温かかったです。
寝顔は、穏やかでひ孫がじいちゃん〜と
話しかけて手を握ってました。
泣けました。。
ありがとうの言葉だけしか出てこず
ただただ、泣けました。
父は、
寝ながら笑ってる様でした。

父を我が家に連れて来てすぐに
ホームの担当看護師さんと
荒井師長さんが、お参りに来てくださいました。

帰り際に荒井師長さんが私に

『入院を最後まで悩んでいたけれど、
その決断は、間違いじゃなかったですよ。
少し気になると言っていた咳ですか、
やはり、
お父さんは、軽い肺炎にもなって様ですよ。
尿もうまく出せてなかったから
もし入院をずらしていたら高熱が出て
息苦しそうで、見てられなかったですよ』
迷っていたけど入院する事にして良かったんですよ。
最後の最後まで
病院についてもまだ、連れて帰ろうかを
悩んでいたので、その事を言いたかったんです』と

私にそのことを話すために来てくれた?
そう思う言葉でした。

家で看取れなかった事を父に申し訳ない気持ちと
もう亡くなっているにもかかわらず、
まだに迷いと後悔している気持ちがあり
うまくは言えませんが、クヨクヨしてました。

その言葉に救われ
気持ちが楽になりました。

短い介護の時間でしたが、妹達と
4月からの毎日の病院に食べものを運び
毎日、10回以上かかる『早く家に帰りたい。迎えに来てくれ〜』の電話。
仕事中で、出れなくて携帯の留守電・・今もまだ消せない父の声・・。

退院してからの親族大集合の誕生日会🎂と退院祝い😃
父のみんなの前での長い挨拶(笑)
段々、体力が、落ちてきて痩せていき、
入院前は、
夜は、3時間に一回のおむつ変え、
ご飯も全て食べさし、夜になると何とかな起き上がり
自分で自分の事をしようとするから転んだら怪我をすると思い
同じ部屋で寝て生活しました。

それが、嫌でも苦労でもなくて
ただただ、愛おしくて
笑って、触って、撫でて、
私が、これまでに頂いた愛情のお礼と
良い娘ではなかったのでお詫びの気持ちを込めて
私なりの精一杯の恩返し期間でした。

本当に4月に心筋梗塞であのまま逝かなくて良かった。。。

この病気の3ヶ月は、本当に貴重で大切な時間を頂けたことに
本当に感謝しています。

親の死を間近で感じて、私のもの見方も今後も
違ってきています。
私の死をどう迎えるかも考えました。
父からの最後の教育、ギフトです。

死んだ時に今までの人生がわかるのかな?と教えてもらった気がします。

葬儀の時に皆さんが、口々に話してくれた言葉が、同じでした。

「物静かで穏やかな人で悪いことも何も言わずに
人のために尽くしてくれて本当にお世話になりました。」

親族は全員
『たくさんの愛情をありがとう』しか出てきませんでした。

立派な父だったんだと改めて思いました。

さて、荒木恵子さん!!
これからもうひと頑張りして私なりの死を迎えていく事を考えていきます。
長いか短いかわからないけれど
発する言葉・これからも出会う人・生き方・在り方
私のお葬式で、どう言われるのかは、これからの過ごし方ですね。

これからも迷ったり悩んだり失敗したりは、たくさんあるだろうけれど
元気に生きてるだけで全てよし!!

ナンクルナイサー✨
なんとかなる!!

最後は、お父さんのようになれますように🙏   
           

追伸・・・病院で泣いただけで、あれから泣いてません。
     いまだに心に蓋をして見ないようにしている自分がいます。
     どこか崩れる自分がいる気がして笑って過ごしてます。
     季節の変わり目や少しずつ整理を始めていくと
     父が、いなくなった事を実感するのでしょう。
     時々、色んな感情が出ます。
     不安や恐れもあります。
     本当に弱いなと痛感することも多々あります。
     それでも私の周りの大切な人が支えてくれているから
     お陰様で平気な顔して暮らしています。
     大丈夫なんとかなる!!と言い聞かせています。
     支えてくれている方に感謝の気持ちを込めて。
     ありがとうございます😊

     これからもこんな私ですが、よろしくお願いします❣️

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keiko

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